日々を追われ駆り立てられるいつもの生活に戻り、画家ブライアン・ウィリアムズとの旅を回想する。
チベット側エベレスト山脈、標高4~6,000mの約2週間にわたるトレッキング。大自然という過酷な環境は現場絵描きのリアルな姿を露わにしてくれる。蒼天の光が刺す山々を期待するが、自然とは残酷なもの。天候に恵まれず、だだひたすら雨の中を歩き、雪が降るテントの中にこもることも。空気が薄い中で体調も精神的にもバランスを崩すが、彼の体力と食欲だけは衰えなかった。というよりいつもより大食になり獣臭すら感じた。何より日を追ってブライアンの瞳に変化を感じた。瞳孔が開き、どこか鋭く遥か向こうを見ているような野生の目。今でもはっきりおぼえている。獲物を捕らえるかのように、美しい一瞬を逃さまいと必死に歩き、登る。生きる為に描き、描く為に生きる。本当にこの画家は生きることと描くことが同軸にあり、全てがサバイバルなのだと感じた。
山の様相は分単位で変化する。写真ならまだしも、ヒマラヤ山脈の美しい一瞬を一枚の紙に残そうとする行為は非効率的。特に空気が薄くて乾燥してる高山では水彩のボカシが生かせず、息も乱れ手元もおぼつかない。それでもうち過ぎる時間に必死に食らいつき筆を運ぶ姿は逞しく、愛おしかった。決して体裁を整えた展覧会場で発表できるような絵ではなかったが、私はその絵が好きだった。人を丸裸にし誤魔化しが効かない大自然の中で、彼の全てが詰まっているような気がして。美とは相反するものが存在するからこそ高みの感覚に昇華できると私は思っている。そんな空気をまとったブライアン・ウィリアムズの描く具象画は、そういう意味でリアルなのかもしれない。
過酷な条件での旅、本当に行きたかった最後の場所には辿り着けず、それぞれが悔しさ、不甲斐なさを抱え、涙さえ流した。それでも次の日には笑い、ブライアンは次なる冒険を目を輝かせて語り出す。死ぬまでこの人は写実画家なのだろう。そんな画家ブライアン・ウィリアムズの人間性に触れた貴重な時間だった。
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